店主のひとりごと
平安貴族と自然薯
芥川龍之介の「芋粥(いもがゆ)」という小説をご存知でしょうか。
主人公は、芋粥をたらふく食べてみたいという夢を持った、うだつのあがらない男です。
その望みを耳にした貴族が、芋粥をたっぷりご馳走してくれることになるのですが、いざ大量の芋粥を目の前にした主人公は…というお話です。
(すでに著作権が消滅しているため、インターネット上の「青空文庫」でも全文を読むことができます)
実はこの小説は、平安時代の『今昔物語集』に載せるエピソードを下敷きとしています。
「芋粥」と聞くと、現代の私たちは何となくサツマイモやジャガイモをイメージしがちですが、サツマイモやジャガイモが日本にやって来たのは17世紀頃のことです。
では、平安時代の貴族たちが食べていた芋粥はというと…実は、自然薯のお粥なんです。
自然薯のルーツは米よりも古く、なんと縄文時代から、日本人の食生活と深く関わってきました。
日本原産の天然種で、山中などに自然に生えることから「自然生(じねんじょう)」「自然薯」と呼ばれるようになったようです。
自然薯と共に、長芋や大和芋も「山芋」と呼ばれていますが、長芋と大和芋は栽培用として、中国や東南アジアから原種が持ち込まれました。
平安貴族たちの食した芋粥は、貴重な甘味料であった甘葛(アマヅラ。ツタの樹液を煮詰めたもの)で煮込んだ、甘いお粥でした。
「万丈の君にも献上された」というほどの超高級スイーツだったようです。
自然薯はこんなにも古くから、日本人の食の楽しみであり、パワーの源だったんですね。
とろろ汁と東海道の旅人たち
江戸時代に五街道の一つとして東海道が整備され、その街道沿いに宿場が設けられました。
公用の旅人や物資の輸送のために、宿場が無料で人や馬を提供してくれ、次の宿場まで送り継いでくれます。
東海道には江戸から京都までの間に53の宿場があり、53回の継ぎ替えをすることから、「東海道五十三次」と呼ばれるようになりました
そんな長い道のりを歩く旅人たちのお腹を満たしていたのが、実は、とろろ汁だったんです。
静岡県にある「元祖 丁子屋(ちょうじや)」さんは、かつて丸子宿のあった地で、400年以上経った現在も自然薯料理を提供されています
スタミナがつく上、消化の良いとろろ汁は、飛脚やお伊勢参りの旅人たちにうってつけの食べ物だったんですね。
山のウナギ
自然薯は古くから、「やまうなぎ」や「山薬」と呼ばれ、日本人のスタミナ食として親しまれてきました。
近年、こうした呼び名の理由が科学的に解明されています。
自然薯はたんぱく質やビタミン、ミネラルなど栄養価が高い上、消化酵素であるジアスターゼを多く含んでいるため、消化が良く、胃腸の働きを活発にしてくれます。
粘り成分のムチンには粘膜を保護する作用があり、胃潰瘍や胃炎の予防にも効果があるといわれています。
また自然薯に多く含まれるアルギニンという酵素は、疲労回復や免疫力の向上、生殖能力を強める効果があることなどが明らかになっています。
「最近、ちょっと疲れてるな」と思ったら、ぜひ当店の自然薯御膳を召し上がってくださいませ。
刻み自然薯は、シャッキリとした食感と自然薯本来の鮮烈な味わいをお楽しみいただけます。
自然薯の蒲焼きは、「これ、ウナギみたい!」と驚かれるお客様も多く、まさに「やまうなぎ」を思わせる一品です。
メインのとろろ汁は、自然薯の野趣あふれる風味をいっそう引き立てるダシで仕上げておりますので、たっぷりと麦飯にかけてご賞味ください。
数量限定ですが、一品料理として、生すりおろし自然薯もご用意しております。
まるで餅のような粘りとふわふわした食感がやみつきになったというお客様がたくさんいらっしゃいます。
自然薯づくしのランチで、東海道の旅人たちのようにスタミナをチャージし、毎日を元気にお過ごしいただければと心から願っております。